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アイテム詳細
生は「私が存在し」て初めて真実となる
Georgei Ivanovitch Gurdjieff(原著)
浅井 雅志(翻訳)
発売:平河出版社
Amazon.co.jp ランキング:Book で131776位
価格:¥ 2,548(税込み)/1,500円以上国内配送料無料(一部大型商品は除く)!
発売日:1993-08 /通常24時間以内に発送
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
御車
(2007-08-16)
人間は御車である。御車たる私が存在して初めて生というものは真実となる。ほとんどの人間は御車たりえず、機械であり、眠ったままである。いつしか、自然と受け入れられるようになった。
「真の私」の形成
(2005-07-24)
未完のままに出版された本書は、それでもとても重要なポイントがかかれていると思います。
人間の内なる世界と外なる世界の二つの働きの中で、人生を生きることが、「真の私」、「人間の世界」をはぐくんでいるということは、実践的なポイントであると思います。
人間が持つべき七つの衝動のうちの三つについてのべて、それがどのように「真の私」の形成するのかを指摘しています。
「真の私」をもつものだけがその衝動をもてるとして、まずそうなるための指針を与えています。
未完ではあっても、かなり具体的な問題にまで踏み込んだ表現が含まれています。
グルジェフの自称「秘教」
(2005-04-19)
グルジェフは、中央アジアを旅行して、スーフィー(イスラーム神秘主義者)やギリシア正教の修道者から「秘教」を学んだと自称していますが、
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人間は御車である。御車たる私が存在して初めて生というものは真実となる。ほとんどの人間は御車たりえず、機械であり、眠ったままである。いつしか、自然と受け入れられるようになった。
「真の私」の形成
未完のままに出版された本書は、それでもとても重要なポイントがかかれていると思います。
人間の内なる世界と外なる世界の二つの働きの中で、人生を生きることが、「真の私」、「人間の世界」をはぐくんでいるということは、実践的なポイントであると思います。
人間が持つべき七つの衝動のうちの三つについてのべて、それがどのように「真の私」の形成するのかを指摘しています。
「真の私」をもつものだけがその衝動をもてるとして、まずそうなるための指針を与えています。
未完ではあっても、かなり具体的な問題にまで踏み込んだ表現が含まれています。
グルジェフの自称「秘教」
グルジェフは、中央アジアを旅行して、スーフィー(イスラーム神秘主義者)やギリシア正教の修道者から「秘教」を学んだと自称していますが、
(1)グルジェフがその教えを学んだと自称する「修道院」は、なんらその歴史的実在の証拠が見つかっていません。
(2)グルジェフの弟子ザルツマン夫人のグループで二年間活動したLouis Pauwelsによれば、「グルジェフの試み」は「病気・病床・墓場への道を開く危険をおかしている」そうです。(”Une societe secrete;les disciples de Georges Gurdjieff”Arts,May1-7,1952)
(3)普通の人間は単なる肉体のみで、死んだらそれまで、というような主張(ウスペンスキー「奇跡を求めて」邦訳p.61参照)は、霊魂の死後の存続(あるいは仏教的には心相続)の明確な否定だし、「もし<絶対>が神なら、神の長さと重さを測り、構成要素に分解し、計算し、明確な公式の形で表すことが可能だ」(「奇跡を求めて」邦訳p.144)
というような物質主義的神観は、セム的一神教の正統はもちろん、ヒンズーやシャーマニズムのような諸伝統ともほど遠い。このような教義をスーフィーや正教徒が説くとは到底考えがたいことです。
自己観察のような教えは、スーフィズムやキリスト教のみならず、仏教、ヴェーダーンタ、ギリシアの伝統などにも見出される基本的なものですが、何もグルジェフのようなうさんくさい自称「秘教徒」にそれを教わる必要はありません。
William Chittikのイブン・アラビー英訳や、Philokaliaなどで、真のスーフィズムや正教の教えを学ぶほうが、よっぽど安全であり、かつ興味深いことは確かでしょう。
