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アイテム詳細
自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)
東 浩紀
大澤 真幸
発売:NHK出版
Amazon.co.jp ランキング:Book で119363位
価格:¥ 1,071(税込み)/1,500円以上国内配送料無料(一部大型商品は除く)!
発売日:2003-05-01 /通常24時間以内に発送
東 浩紀
大澤 真幸
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
いろんな楽しみ方ができる。
(2007-04-27)
非常に面白い対談である。
すでに数々のレビューで紹介されているので、本筋には
あまりふれないつもりだが、この本の中心的な内容は
大澤真幸氏による「あとがき」でうまくまとめられている。
「(ベルリンの壁が崩壊し)われわれは、壁のない社会が到来
するだろうとの期待を抱いたのだ。・・・(だが)・・・われわれが
手に入れたのは、無数の―偏在する―不可視の壁だったのだ。」
つまり、「自由を奪われている」という意識を与えないで、
実は「自由を奪っている」かもしれない今の社会の恐ろしさ
について論じている。
本筋の話も非常に興味深いのだが、この対談を通じて
東浩紀氏の思想・哲学のあり方に対する考えかたが
たびたび見えるのが非常に面白かった。
「自由」ってなんだろう・・・と考えはじめるのに、
大きな一歩となる良書である。
パラドキシカルな視点にあふれた現代世界分析
(2005-12-15)
斜め読みではあるが、なかなか面白い。9.11以降の社会の実態を照射するような発見やパラドキシカルな見解にあふれている。イラクとアメリカ・イギリスの戦争については、米国は主要な敵を原理主義者と見ているが、そのような原理主義者を完成させるのはブッシュ・ドクトリンに基づく政治的・軍事的行動にほかならないという点で「アメリカの勝利こそがアメリカの敗北である」であるといえ、これこそブッシュ・ドクトリンの究極のアイロニーであるとか、イラク戦争を通じて「夜警国家」のような「最小国家(minimal state)」は最小ではなく、それどころか最小国家ほど大規模な国家はないかもしれないとか、「9・11」の月と日を入れ替えるとそれはベルリンの壁が崩壊した「11・9」(1989年11月9日)になるが、「11・9」以降(冷戦期に外在する敵を恐れてきた)人々は、壁のない社会の到来を期待したが結果的にいたるところに壁がある社会を手に入れることとなったとか、その壁が今日保守しているのは、冷戦の時代に存在した壁が思想に規定された体制の選択に基づくものであったのに対し「内なる敵」からの危険を回避する「安全な生活、快適な生活」であるとか、なかなか読ませます。
東浩紀再考
(2005-09-25)
デリダ論から出発してオタク評論家になったと見なしていた東浩紀がマトモな評論家であったことを知って、彼を見直そうというきっかけになった本。ここでは大澤真幸の議論に付き合って一歩も引かず、かつさりげなく過剰に弁証法的思考に傾く大澤をいなしているのは見事。
二人の問題意識は重なっている。権力というものを、ジョセフ・ナイのいう「ソフト・パワー」(要は洗脳)という観点から捉えている。つまり、管理されていると感じさせない管理が最高の(つまりもっとも危険な)管理である、ということで、これは生命学の森岡正博の「無痛文明」にも通ずる考え方で、現代知識人が関心を寄せるテーマは同じようなことなのだ、と感心した。
しかし、残念ながら、「どうして自由が必要か」という最後の問いに、両者ともうまく答えを見いだせないいらだちを、浅羽通明が「安全の方を自由より重んじる人間は自由を捨てたらいい」と切って捨てているが、この指摘は説得力があると思われる。敢えてこの批判に対して二人を弁護するとすれば、現代社会においては、全員が合意しないと成り立たないことがあるのであって、各自が選択の自由を必ずしも持てるとは限らない、つまり、安全を担保するためには、全員が「自由を捨てる」ことに合意する必要があるのだ、と返答することになろう。
エキサイティングな討論であることは確かである。
考えるためのきっかけ
(2005-04-09)
かつて、価値判断の基準となり、物事に意味を与えてくれるようなものが存在し、人々がそれを共有していた。近代以降、そのような存在が失われつつあり、冷戦構造の崩壊後それが顕著になった。
この帰結として、社会秩序を維持するための手法が変化した。従来の、教育による内面からの管理から、環境を管理することによる手法が主流となりつつあるのだ。
以上の現状認識にもとづき、この変化によって得られるもの/失われるものについて、想像力をめぐらせるきっかけをこの本は与えてくれる。考えるためのフレームワークを提示するには至っていない。フレームワークの構築には従来の「自由」概念の再構築が必要なのではないかということが提案されている。
表題に偽りあり?日本文化論として読むべき本
(2004-04-08)
実際にアフガンでNGOワークをした経験のある自分にとっては、帰国後読んだこの本の中で、中東イスラム・テロが「物言わぬ」存在として驚異(脅威)を持って整理されていることに違和感を感じた。アタリ前だけど、その土地にいくと饒舌に彼らはアメリカ、日本、資本主義とイスラムなどについて語ってくる。
おすすめ度:
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非常に面白い対談である。
すでに数々のレビューで紹介されているので、本筋には
あまりふれないつもりだが、この本の中心的な内容は
大澤真幸氏による「あとがき」でうまくまとめられている。
「(ベルリンの壁が崩壊し)われわれは、壁のない社会が到来
するだろうとの期待を抱いたのだ。・・・(だが)・・・われわれが
手に入れたのは、無数の―偏在する―不可視の壁だったのだ。」
つまり、「自由を奪われている」という意識を与えないで、
実は「自由を奪っている」かもしれない今の社会の恐ろしさ
について論じている。
本筋の話も非常に興味深いのだが、この対談を通じて
東浩紀氏の思想・哲学のあり方に対する考えかたが
たびたび見えるのが非常に面白かった。
「自由」ってなんだろう・・・と考えはじめるのに、
大きな一歩となる良書である。
パラドキシカルな視点にあふれた現代世界分析
斜め読みではあるが、なかなか面白い。9.11以降の社会の実態を照射するような発見やパラドキシカルな見解にあふれている。イラクとアメリカ・イギリスの戦争については、米国は主要な敵を原理主義者と見ているが、そのような原理主義者を完成させるのはブッシュ・ドクトリンに基づく政治的・軍事的行動にほかならないという点で「アメリカの勝利こそがアメリカの敗北である」であるといえ、これこそブッシュ・ドクトリンの究極のアイロニーであるとか、イラク戦争を通じて「夜警国家」のような「最小国家(minimal state)」は最小ではなく、それどころか最小国家ほど大規模な国家はないかもしれないとか、「9・11」の月と日を入れ替えるとそれはベルリンの壁が崩壊した「11・9」(1989年11月9日)になるが、「11・9」以降(冷戦期に外在する敵を恐れてきた)人々は、壁のない社会の到来を期待したが結果的にいたるところに壁がある社会を手に入れることとなったとか、その壁が今日保守しているのは、冷戦の時代に存在した壁が思想に規定された体制の選択に基づくものであったのに対し「内なる敵」からの危険を回避する「安全な生活、快適な生活」であるとか、なかなか読ませます。
東浩紀再考
デリダ論から出発してオタク評論家になったと見なしていた東浩紀がマトモな評論家であったことを知って、彼を見直そうというきっかけになった本。ここでは大澤真幸の議論に付き合って一歩も引かず、かつさりげなく過剰に弁証法的思考に傾く大澤をいなしているのは見事。
二人の問題意識は重なっている。権力というものを、ジョセフ・ナイのいう「ソフト・パワー」(要は洗脳)という観点から捉えている。つまり、管理されていると感じさせない管理が最高の(つまりもっとも危険な)管理である、ということで、これは生命学の森岡正博の「無痛文明」にも通ずる考え方で、現代知識人が関心を寄せるテーマは同じようなことなのだ、と感心した。
しかし、残念ながら、「どうして自由が必要か」という最後の問いに、両者ともうまく答えを見いだせないいらだちを、浅羽通明が「安全の方を自由より重んじる人間は自由を捨てたらいい」と切って捨てているが、この指摘は説得力があると思われる。敢えてこの批判に対して二人を弁護するとすれば、現代社会においては、全員が合意しないと成り立たないことがあるのであって、各自が選択の自由を必ずしも持てるとは限らない、つまり、安全を担保するためには、全員が「自由を捨てる」ことに合意する必要があるのだ、と返答することになろう。
エキサイティングな討論であることは確かである。
考えるためのきっかけ
かつて、価値判断の基準となり、物事に意味を与えてくれるようなものが存在し、人々がそれを共有していた。近代以降、そのような存在が失われつつあり、冷戦構造の崩壊後それが顕著になった。
この帰結として、社会秩序を維持するための手法が変化した。従来の、教育による内面からの管理から、環境を管理することによる手法が主流となりつつあるのだ。
以上の現状認識にもとづき、この変化によって得られるもの/失われるものについて、想像力をめぐらせるきっかけをこの本は与えてくれる。考えるためのフレームワークを提示するには至っていない。フレームワークの構築には従来の「自由」概念の再構築が必要なのではないかということが提案されている。
表題に偽りあり?日本文化論として読むべき本
実際にアフガンでNGOワークをした経験のある自分にとっては、帰国後読んだこの本の中で、中東イスラム・テロが「物言わぬ」存在として驚異(脅威)を持って整理されていることに違和感を感じた。アタリ前だけど、その土地にいくと饒舌に彼らはアメリカ、日本、資本主義とイスラムなどについて語ってくる。
この本は9.11以後の「自由」についての対談なのだが、ここで語られる「自由」は住基ネットが取り上げられているように日本の都市生活における「自由」、それもテクノロジーとの関係における「自由」に限定した話だということを読者は心がけておくべきだろう。
イスラム教徒やアメリカのクリスチャンと話していて感じるのは、大抵の人は何らかの信仰がないと「不安」だということで、多分、今「自由」を語るには、そういうメンタリティからの「自由」のほうが哲学者・批評家に語ってほしいことなのだと感じる。
