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アイテム詳細
嗤う伊右衛門 (中公文庫)
京極 夏彦
発売:中央公論新社
Amazon.co.jp ランキング:Book で172834位
価格:¥ 580(税込み)/1,500円以上国内配送料無料(一部大型商品は除く)!
発売日:2004-06 /通常24時間以内に発送
京極 夏彦
発売:中央公論新社
Amazon.co.jp ランキング:Book で172834位
価格:¥ 580(税込み)/1,500円以上国内配送料無料(一部大型商品は除く)!
発売日:2004-06 /通常24時間以内に発送
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
頑なな心
(2008-05-05)
「人の器量の善し悪しは心根の美しさに関係ない」。確かに綺麗な人でも不器量な人でも、優しい人もいれば底意地の悪い人もいる。功名心の強い人もいれば慈悲深い人もいる。それでも器量はその人の性格に大いなる影響を及ぼすのだ。
四谷怪談のお岩さんを、新たな構想でパスティッシュした本書。崩れた顔を持つ岩の哀しみがひしを胸を打つ。「どのような容姿、境遇であろうとも我は我」と考える岩の強さはそう考えることで己を保っていた岩の弱さをも含んでいる。おどろおどろしい女の怨念を具現化したような四谷怪談の「お岩」とはあまりにも対照的な京極夏彦の「お岩」。同じ話をベースとしてこれほどにまで別の世界を違和感なく構築する京極氏の力量にただ感服する次第である。
純愛のかっこよさ
(2007-04-24)
最後の1ページで号泣。
京極夏彦ってものすごくポジティブな人だな。
怪談として知られるお岩さんと伊右衛門の話を、完全無欠の純愛ものに仕立て上げた。
作品を読んで作者の力量を量るのはあまりしたくないんだけど(結局選択の余地を狭くして自分の首を締める結果になるから。自戒の念を込めて)、この作品に関しては作者の力を感ぜずにはいられませんでした。
あくまでも読み物なので芸術性や文学性は無視しますが、この娯楽性の高さは並々ならない。しかも京極夏彦の作品は(おそらく)すべて本歌取りの二重構造になっているので、二度も三度もおいしく味わえると言う特典付きだ。これがたまらなく好き。
北村薫の『六の宮の姫君』は高木彬光『成吉思汗の秘密』のような点と点を線で結ぶ探求ものだったが、『嗤う伊右衛門』もそんな作りになっている可能性があるんだろうか。いや原始資料の種類から言ってその可能性はあるだろう。だとしたら本歌・改作・探求の三種をこの作品ひとつで味わえる可能性がある訳で、そりゃまた凄いところに目を付けたもんだ。そしてそれを形に出来る度量も凄い。
それにしても、岩と伊右衛門の純愛のかっこよさよ。
どーしても京極作品は『必殺』の匂いがそこはかとなく、する。
深淵妖面たる京極結界の最高傑作
(2007-04-14)
1997年6月リリース。鶴屋南北の怪談狂言『東海道四谷怪談(文政8年-1825)』の京極夏彦戯作である。369ページと京極作品にしては画期的に短いが純化した言霊になった京極結界は無駄な言葉などなく、こうなったということなのだろう。本作は小雪の主演で映画化もされている。
語りで結界を作る。京極作品はそういう陰陽師のような世界である。語るか文字になっているかその違いだけである。ただ文字には言葉よりもっと強い力がある。文字から喚起されたこの四谷怪談は余りに美しい。その美しさは美女小雪をもって映像化を蜷川幸雄が試みても遠く及ばない。イマジネーションの中だけで観ることが出来る美しさである。
はっきり言って京極夏彦の最高傑作だろう。この作品に直木賞を与えず、『後巷説百物語』などに直木賞を与えてしまうということが今の文壇のレベルの低さをよく示している。自覚していないだろうが選考委員は勉強のやり直しだろう。
美しい魑魅魍魎の世界
(2006-11-12)
どうして、この人が描く魑魅魍魎の世界はこんなに美しいのでしょう。
漆黒の闇を舞台に、血の赤や肌の白さや蚊帳の朧さなどが際立って、
まるで色鮮やかな絵巻物をみているかのようです。
日本古来の言葉を駆使した文体は、まるで香を焚き染めたかのように匂い立ち、
独特の言い回しや体言止めの多用が、語り手の息遣いがつたわってくるかのごとく
臨場感をかもし出しています。
日本のお化けの物語をこんなに品よく格調高く描ける人は、この人以外に
いないのではないでしょうか。大好きな本のひとつです。
人間の心の闇に迫る名作
(2006-09-23)
有名な「四谷怪談」をベースに、人間心理の闇と怖さを主体にした物語に再構成したもの。京極氏特有の人間の心の襞をさぐる話になっており、「怖いのは妖怪や怪異談ではなく、人間の心そのもの」という主張が貫かれている。お岩と伊右衛門との"愛"も重要なテーマとなっており、従来の「四谷怪談」から受ける印象とはかけ離れている。"小股潜りの又市"が登場するのもファンにとっては嬉しい。
本作では、お岩は疱瘡のため容貌は醜いながらも、高い矜持を持つ凛とした女性として描かれている。一方、伊右衛門は実直で生真面目な男として描かれる。伊右衛門は婿養子に入るのだが、2人は口にこそ出さねど愛し合っている。お岩は自身の容貌のため、男から愛されることはないと醒めた態度を取るのだが、伊右衛門を心の底では愛している。伊右衛門はそんなお岩を気遣いながら、愚直にお岩を愛している。
そんな中、伊東という傍若無人で残忍な上役のため、2人の運命の歯車が狂い始める。伊東の讒言で、お岩は伊右衛門の浮気を信じ込まされる。伊右衛門のため身を引こうとして離縁するお岩。そんな伊右衛門に伊東は自分がなぐさみものした女"梅"をあてがうのだ。しかも、梅は伊東の子を身ごもっていた...。
ここから(表面的な)怪談が始まる。赤ん坊が産まれ、その子を溺愛する伊右衛門。しかし、お岩もその子を我が子(=伊右衛門の子)であるかのように溺愛していたのだ。お岩は家に立ち寄って塀際からその子を眺めようとするのだが、家の者からは"化け者"がやって来たと恐れられる。特に梅の怖がり様は尋常ではない。梅はやって来たのが、自分の恋のライバルお岩であることを知っていたのだ。この辺から、梅とお岩の心は崩壊し始めている。そして、お岩は赤ん坊を攫ってしまい、その後、行方不明に...。
この後、伊東の残虐・奸計ぶりに堪忍袋の緒を切らした伊右衛門は伊東を斬る。その時、梅も斬ってしまう。この辺で、伊右衛門の精神も崩壊し始めている。
最後で明かされる、お岩の運命と伊右衛門の心の襞には、暗澹とせざるを得ない。笑わぬ男伊右衛門が、最後に「嗤う」という描写は心を寒々とさせる。「四谷怪談」を見事な人間心理の描写の物語に再構成した傑作。
おすすめ度:
頑なな心
「人の器量の善し悪しは心根の美しさに関係ない」。確かに綺麗な人でも不器量な人でも、優しい人もいれば底意地の悪い人もいる。功名心の強い人もいれば慈悲深い人もいる。それでも器量はその人の性格に大いなる影響を及ぼすのだ。
四谷怪談のお岩さんを、新たな構想でパスティッシュした本書。崩れた顔を持つ岩の哀しみがひしを胸を打つ。「どのような容姿、境遇であろうとも我は我」と考える岩の強さはそう考えることで己を保っていた岩の弱さをも含んでいる。おどろおどろしい女の怨念を具現化したような四谷怪談の「お岩」とはあまりにも対照的な京極夏彦の「お岩」。同じ話をベースとしてこれほどにまで別の世界を違和感なく構築する京極氏の力量にただ感服する次第である。
純愛のかっこよさ
最後の1ページで号泣。
京極夏彦ってものすごくポジティブな人だな。
怪談として知られるお岩さんと伊右衛門の話を、完全無欠の純愛ものに仕立て上げた。
作品を読んで作者の力量を量るのはあまりしたくないんだけど(結局選択の余地を狭くして自分の首を締める結果になるから。自戒の念を込めて)、この作品に関しては作者の力を感ぜずにはいられませんでした。
あくまでも読み物なので芸術性や文学性は無視しますが、この娯楽性の高さは並々ならない。しかも京極夏彦の作品は(おそらく)すべて本歌取りの二重構造になっているので、二度も三度もおいしく味わえると言う特典付きだ。これがたまらなく好き。
北村薫の『六の宮の姫君』は高木彬光『成吉思汗の秘密』のような点と点を線で結ぶ探求ものだったが、『嗤う伊右衛門』もそんな作りになっている可能性があるんだろうか。いや原始資料の種類から言ってその可能性はあるだろう。だとしたら本歌・改作・探求の三種をこの作品ひとつで味わえる可能性がある訳で、そりゃまた凄いところに目を付けたもんだ。そしてそれを形に出来る度量も凄い。
それにしても、岩と伊右衛門の純愛のかっこよさよ。
どーしても京極作品は『必殺』の匂いがそこはかとなく、する。
深淵妖面たる京極結界の最高傑作
1997年6月リリース。鶴屋南北の怪談狂言『東海道四谷怪談(文政8年-1825)』の京極夏彦戯作である。369ページと京極作品にしては画期的に短いが純化した言霊になった京極結界は無駄な言葉などなく、こうなったということなのだろう。本作は小雪の主演で映画化もされている。
語りで結界を作る。京極作品はそういう陰陽師のような世界である。語るか文字になっているかその違いだけである。ただ文字には言葉よりもっと強い力がある。文字から喚起されたこの四谷怪談は余りに美しい。その美しさは美女小雪をもって映像化を蜷川幸雄が試みても遠く及ばない。イマジネーションの中だけで観ることが出来る美しさである。
はっきり言って京極夏彦の最高傑作だろう。この作品に直木賞を与えず、『後巷説百物語』などに直木賞を与えてしまうということが今の文壇のレベルの低さをよく示している。自覚していないだろうが選考委員は勉強のやり直しだろう。
美しい魑魅魍魎の世界
どうして、この人が描く魑魅魍魎の世界はこんなに美しいのでしょう。
漆黒の闇を舞台に、血の赤や肌の白さや蚊帳の朧さなどが際立って、
まるで色鮮やかな絵巻物をみているかのようです。
日本古来の言葉を駆使した文体は、まるで香を焚き染めたかのように匂い立ち、
独特の言い回しや体言止めの多用が、語り手の息遣いがつたわってくるかのごとく
臨場感をかもし出しています。
日本のお化けの物語をこんなに品よく格調高く描ける人は、この人以外に
いないのではないでしょうか。大好きな本のひとつです。
人間の心の闇に迫る名作
有名な「四谷怪談」をベースに、人間心理の闇と怖さを主体にした物語に再構成したもの。京極氏特有の人間の心の襞をさぐる話になっており、「怖いのは妖怪や怪異談ではなく、人間の心そのもの」という主張が貫かれている。お岩と伊右衛門との"愛"も重要なテーマとなっており、従来の「四谷怪談」から受ける印象とはかけ離れている。"小股潜りの又市"が登場するのもファンにとっては嬉しい。
本作では、お岩は疱瘡のため容貌は醜いながらも、高い矜持を持つ凛とした女性として描かれている。一方、伊右衛門は実直で生真面目な男として描かれる。伊右衛門は婿養子に入るのだが、2人は口にこそ出さねど愛し合っている。お岩は自身の容貌のため、男から愛されることはないと醒めた態度を取るのだが、伊右衛門を心の底では愛している。伊右衛門はそんなお岩を気遣いながら、愚直にお岩を愛している。
そんな中、伊東という傍若無人で残忍な上役のため、2人の運命の歯車が狂い始める。伊東の讒言で、お岩は伊右衛門の浮気を信じ込まされる。伊右衛門のため身を引こうとして離縁するお岩。そんな伊右衛門に伊東は自分がなぐさみものした女"梅"をあてがうのだ。しかも、梅は伊東の子を身ごもっていた...。
ここから(表面的な)怪談が始まる。赤ん坊が産まれ、その子を溺愛する伊右衛門。しかし、お岩もその子を我が子(=伊右衛門の子)であるかのように溺愛していたのだ。お岩は家に立ち寄って塀際からその子を眺めようとするのだが、家の者からは"化け者"がやって来たと恐れられる。特に梅の怖がり様は尋常ではない。梅はやって来たのが、自分の恋のライバルお岩であることを知っていたのだ。この辺から、梅とお岩の心は崩壊し始めている。そして、お岩は赤ん坊を攫ってしまい、その後、行方不明に...。
この後、伊東の残虐・奸計ぶりに堪忍袋の緒を切らした伊右衛門は伊東を斬る。その時、梅も斬ってしまう。この辺で、伊右衛門の精神も崩壊し始めている。
最後で明かされる、お岩の運命と伊右衛門の心の襞には、暗澹とせざるを得ない。笑わぬ男伊右衛門が、最後に「嗤う」という描写は心を寒々とさせる。「四谷怪談」を見事な人間心理の描写の物語に再構成した傑作。
