夢想する老人の屋敷
シーン3 幻想ノ館、鏡園蒔屋敷。
二階堂ヒュナは
F県K市の山深い道を行った所、そこにその屋敷はあった。
背後には鬱蒼と茂る針葉樹の森
正面はどこまでも続く白い土壁
この地方には珍しい瓦の屋根
昼なお暗いこの場所に、この屋敷はこの世のものでないかのような禍々しさを湛えて建っていた。
周りには、民家の一軒も無く静まり返っている。
ヒュナは昔誰かに聞いた『迷い家』の話を思い出していた。
―――山中一人迷った道、現れる屋敷は神の家、この世の物ならぬ異界の物………。
不意に寒気を覚え、ヒュナは後ろを振り返った。しかしそこには誰も居ない。
「お嬢さん、」
不意に声をかけられて、ヒュナはびっくりして体を前に戻した。
いつの間に開いたのだろう、木戸が開いて一人の女性が立っていた。
黒の着物に薄紫の帯、翡翠の帯留め。
「遠い所をわざわざこんな所までどうも、この家の長女の鏡園蒔秋子です」
女性は、表情を変えずにそう言った。
「雇っていただいて、ありがとうございます。今日からこちらで働かせて戴きます。小林芳子です」
ヒュナはめいいっぱいの笑顔でそう名乗った。
変装したヒュナが秋子に連れられて門をくぐった後、誰もいなくなった門前の道に二つの黒い影が現れた。一つは長着を着た小柄な影、もう一つは背広を着た大柄な影。
「ここが、『幻想の館』か……」
小柄な影―――ジョウは感心したように鏡園蒔の屋敷を見上げた。
「……清志朗老人の遺産はここに有るのだな。
ジョウはそう言って、隣に立つ大柄の男を見た。
男―――王牙は無表情で頷き、
「私の調査によるとここに有る可能性が一番高いです」
と言った。
背が高く、肩幅も広いが太っているような感じもはしない。むしろ痩せている。王牙はどこか地味な感じのする青年である。
ジョウは王牙の言葉を聞くと満足そうに、
「清志朗老人の遺産……、研究の対象として面白い物になりそうだな」
と言った。
涼しげな風が山道を降りてくる。
「……しかしジョウ、二階堂さんを一人先に行かせて良かったのですか?」
王牙は無表情にそう言った。
「……どう言う事だ?」
ジョウは訝しげに眉を寄せる。
王牙は正面を見たまま、
「この屋敷には良くない噂があります」
と言った。
風がジョウの長い髪をさらりと撫でた。
「まあ、大丈夫だろう」
事も無げにジョウは髪をはらい、言った。
「清志朗老人はもう死んだのだ。もう、あのような事は起こらないだろう……」
「……ジョウ、二階堂さんはあの事を知っているのですか?」
一際強い夏風が、二人の間を吹きぬけた。
「……あいつは臆病だからな、知らない方が良いだろう」
ジョウはニヤリと笑った。
今回の仕事はツイている。とヒュナは思った。
ヒュナの目の前には品の良いチョコレイトケーキがちょこんと白い皿に乗り、その隣では熱い紅茶が湯気を立てている。
「今、家の者が里へ降りていて誰もいないので私も心細くてね。あなたが来てくれて助かったわ。さあ、お茶をどうぞ」
鏡園蒔秋子はそう言って自分の紅茶を一口飲んだ。
「いただきます」
ヒュナも紅茶をすする。美味しい。
洋風の客間には今、ヒュナと秋子の二人だけが向かい合って座っている。
「今、このお屋敷にいるのはお嬢様だけなのですか?」
ヒュナはケーキをほおばりつつ秋子に尋ねた。
秋子は苦笑しながら、
「ええ、父と兄はお仕事で塔京に行っていてね、母は随分前に他界していますし」
と言った。
「使用人の方は?」
ヒュナは質問をしつつ秋子を観察した。
「あなたの他は今、メイドが一人しか居ないの。その子も今、街に買い物に出ていてね……」
二十代後半くらいだろうか? 全体的に育ちの良い、上品さと言うか気品が漂っている。しかし顔立ちは整っているがどこか疲れたような感じを受ける。
「ほかに質問はある? 小林さん」
秋子はヒュナの正面を見てにっこりと微笑んだ。
「いいえ、特には無いです」
ヒュナは残っていたケーキを口に入れて紅茶をごくりと飲んだ。
妙に作り物めいた微笑だ、と思った。
それから少し無言になり、二人一緒に紅茶の最後の一口をすすった。
カップがことりとテーブルに置かれる。
「さて、お茶も終わりにしましょうか」
秋子は自分のカップを盆にのせるとヒュナの食器のほうに手を伸ばした。
「いえ、お嬢様。私がやります」
ヒュナはあわてて立ち上がる。
「いいのよ、小林さん。まずあなたはお部屋へ行って荷物の確認をしなさい。ここは私がやりますから」
秋子はてきぱきとその場を片付けながら、また微笑んだ。
ヒュナはそれを見て、何故かゾッとした。