夢想する老人の屋敷
シーン2 怪盗、探偵ヨリ挑戦状ヲ送ラレル。
警視庁から随分と離れた裏道を一人の少女が小走りに通っていた。年は十七くらいだろうか。桜色の小袖にこげ茶色の袴、リボンで纏められた黒髪がふさふさと左右に揺れている。
石畳の曲がりくねった道にカツカツとした靴音が響く。周りには人っ子一人居ない。
カツカツカツカツ、カツカツカツカツ………。
周りに建ち並ぶ塔の影はしんと静まり返っている。
「彼を逃してしまって良かったのかい? 柊君」
警視庁の廊下、夢小路は隣を歩く柊の顔を自信なさげに覗き込んだ。彼は背が低いので格好探偵を見上げるような形になる。柊は普通より少し背が高いのでそれは尚更だ。
「良いんです、警部殿。怪盗に僕の存在を知らせたかったんですよ」
柊は満面の笑みで夢小路のほうに顔を向けた。栗色のさらりとした前髪が聡明そうな広い額の上をすべる。
「しかし警部殿、あなたは『彼』とあの人のことを表現しましたが、僕はあの人は女の子だと思いますね」
「え? どうしてそう思うんだい柊君? 確かに金を届けに来た刑事は誰かの変装だったようだけど、いや、と言うか君はどうしてあの刑事がJOKERだと気付いたんだい?」
探偵は目を瞑ると、
「『JOKER』ではなく、たぶんその助手ですよ」
と言ってから続けた。
「問題は靴音なんです」
カランカラン………。
裏道の、更に奥にあるレンガ造りのビルヂング、その一階、カフェ『カタストロフ』の扉を少女は勢い良く開けた。扉に付いたベルの音に店の茶色の背広を着たマスターがにっこりと微笑む、
「お帰りなさい、二階堂様」
カウンターの席にグラスに注がれた水が一杯差し出される。
少女は息を切らしつつカウンターの席に座ると、乱れた髪を右手でさっと直した。
「……ただいま、マスター」
少女――二階堂ヒュナは水を一口飲むと顔を突っ伏した。
「……変装、気付かれちゃった……」
「それは大変でしたね」
マスターはいつもかぶっている茶色の帽子を少し上げると、
「それで、捕まらなかったのですか?」
と続けた。
ヒュナは「何とか……」と、もごもごした口調で答えて、
「そうだ、こんな事している場合じゃなかった」
と、飛び起きた。
「マスター、ジョウは居る?」
「JOKER様ですか? 地下室にいらっしゃると思いますよ」
勢いのあるヒュナの言葉にマスターは落ち着いた声でに答えた。誰も居ない店内に、ヒュナの若々しい澄んだ声とマスターの落ち着いた太い声のコントラストが響き渡る。
「じゃあ、マスター。私、ジョウの所に行くね」
ヒュナはさっと立ち上がるとカウンターわきの鴉の絵が架っている額を持ち上げた。後ろから人が一人、屈んで通れるほどの穴が現れる。
「夕ご飯は食べに来るからね〜」
スッと体を滑らせ穴の中に入っていった。
マスターは少女が入っていった穴が、パタンと鴉の絵で閉じられるのを見届けると、帽子を両手で直し食器を洗い始めた。
地下へ続く暗い階段を下りるとそこには高級そうな部屋が広がっていた。レンガの壁にたくさんの絵画や世界地図、古文書の写しのような物がたくさん架っており、階段から見て右手の壁に扉が一つ、部屋の真ん中にはアンティークなテーブル。その奥にはこれまた古めかしい洋机が置かれ、一人の少年が机に向かい熱心に読書をしている。
「ただいま、ジョウ。二階堂ヒュナ帰還しましたー」
ヒュナはなるべく明るい声で洋机に向かう少年に言った。
少年は顔を上げると、さも嫌そうな顔をして、
「五月蝿いぞ、ヒュナ。俺が読書をしている時は話しかけるなと言っただろう」
と言って、また目線を書物に戻した。
黒の着流しに白のスタンドカラーシャツ、長く伸びた真っ直ぐの黒髪が彼の首から腰の辺りまでを覆っている。左の目には片眼鏡。肌の色は透けるように白い。年は柊と同じくらいだろうか。
ヒュナは気まずそうに、
「あのう、大切なお話なんですけど……」
と、少年――ジョウの方を見た。
彼こそが今世間を騒がせる怪盗JOKERその人である。
ジョウはヒュナの姿を一瞥すると、
「一分以内に言え」
と言って、片眼鏡を外し本を置いた。
ハードカバーの表紙が机に当たりコンと鳴る。
ヒュナは何か後ろめたい事があるように眉を寄せて笑うと、
「えーと、とりあえず報告しますと、変装がばれちゃいました……」
と言った。
とたんにジョウの目がきつくなった。ヒュナは身を縮める。
「……でもねジョウ、私はばれる様な事は何もしてないよ」
ヒュナは警視庁でのあらましを早口でジョウに説明した。
「……なるほどな」
ジョウは小さく溜息をつき、立ち上がった。
「その柊紅鬼とか云う男、なかなか良い目をしているな」
ヒュナには、その目が少し喜んでいるようにも思えた。
「問題は靴音だな、ヒュナ」
ジョウは笑った。
「いったいどう云う事なんだい、柊君」
夢小路は訳が解らないと言った様子で隣を歩く探偵の顔を覗いた。
「靴音がなんだって言うんだ?」
夢小路の疑問に柊は微笑みでかえして、
「僕が通されたあの部屋はとても靴音が響く部屋でした。僕は歩く時に足音がしないように歩く事にしているのですがあの部屋ではカツカツと大きな音がしてしまった。なのに、あの入ってきた警官はどうです?」
夢小路はその時の事を思い出す。
「どうです? と聞かれてもねえ……覚えてないよそんなこと」
「コツコツ、と言うくぐもった足音で歩いてきたんです」
ビルヂングの出口が近づいてくる。夢小路にはそこから入ってくる外の光がやけに眩しく感じられた。
「これで僕は彼の体重がとても軽いのではないか、と予想を立てました。しかし彼はかなり大柄な男でした。僕なんかよりもね。そこが変だと思ったのですよ。しかも彼は僕の前にあの封筒をポンと置きました。民間人とはいえ僕はお客様です。しかも警部殿は僕にかなり礼儀正しく振舞っていた。こんな状況で、部下であるはずの彼がそんな失礼な事はまずしないでしょう。本当ならもっと丁寧に机の上に乗せるはずです」
「なるほど……」
夢小路は眼鏡の位置を直した。
「さすが、すばらしい推理だよ柊君。君が今回の事件に協力してくれるのは本当に心強い。さて、君帰りはどうするんだい? 君が望むなら今から車を呼ぶのだけど?」
警部は上機嫌だ。探偵はその様子を見て、
「当然ですよ警部殿、僕は名探偵柊紅鬼ですよ」
と言って前髪をさらりと撫でた。
「あと、嬉しいのですが車は結構です。供の者を待たせておりますしこれから行く所がありますので。では警部殿、事件に関する資料は家まで郵送して下さい。それでは、またのちほど」
そう言って、柊は颯爽と警視庁を後にした。
柊紅鬼は警視庁の外に出るときょろきょろと辺りを見回すと、一人の書生風の少年を見つけそちらへ歩いていった。
「やあ、待たせたね」
書生風の少年は柊を一瞥すると、
「良くもあんな口からでまかせが言えますね、若旦那」
と言った。
柊は口笛を吹くと、
「何のことかな〜」
と言ってそっぽを向いた。
書生風の少年は、
「あの警部との話、俺は聞いてましたからね」
と言って、さらに強い目で柊を見た。
柊は観念したように、
「はいはい、解ったよ。ホントはね、僕はあの刑事がニセモノだって最初から知っていたんだよ」
と言った。書生風の少年は、「やっぱりか」と言って溜息をついた。
「……いったい、どこで解ったんですか?」
柊は上を向き、塔やビルヂングの間の青空を見た。
「いやね、ステイションの近くを通りかかったときに可愛い女の子が居たんだよ。そしたらね、その子が男子用便所に入っていったんだ。おかしいだろう? 声をかけて見ようと思ってそこで待ってたら、刑事さんが一人出てきただけでその子は出てきませんでした。と言う訳さ」
「………」
「どうしたんだい?」
「で、どうしてその人を捕まえなかったんですか?」
「だって、怪盗JOKERに僕の存在を教えるチャンスじゃないか。彼と対等な立場で彼を捕まえるのが僕、名探偵柊紅鬼の勤めだと思わないかい?」
柊はにっこりと微笑んだ。
二階堂ヒュナはがっくりとカウンターに肘をつき、溜息をついた。
「……そっかあ、靴の音か……」
「随分お疲れのようですね、二階堂様」
疲れきった様子のヒュナの前にマスターは優しく煎茶の入った湯飲みを置いた。
「すべて、こいつの自業自得だ。気にするな、マスター」
ジョウは自分の前に置かれた珈琲を飲みつつ言った。
「だいたい、足音を変えることくらいできなくて如何する」
ヒュナはそれを聞いてまた溜息をつくと、
「……それでもね、ジョウ。さすがに三時間も足音を変える特訓を続けるのはどうかと……」
と言って、煎茶をすすった。
ジョウはヒュナの様子は目に入っていないと言う様子で、
「しかし、柊紅鬼という探偵はなかなか面白そうな奴だな」
と言った、それを聞いてヒュナはがばりと起き上がると、
「そうだ、ジョウ。着替える時に気付いたんだけど、……こんな物が懐に入ってた」
ジョウの前に一通の便箋を置いた。ジョウはそれを受け取ると、
「何だこれは?」
と言って裏返して眉をひそめた。
そこには達筆な字で「名探偵より」、と書いてあった。
『怪盗殿へ
初めてお手紙差し上げます。僕は名探偵の柊紅鬼です。
さて、僕は名探偵なのであなたを捕まえたいと思います。
貴方の予告した日に僕も参上させていただきます。ではでは。
名探偵より』